夕暮れ黄昏日記

想いのまま、ありのまま、気の向くまま。

うつ病闘病記の始まり(自己紹介)

私の部屋にようこそ。

私は、『夕暮れサラリーマン』です。人生の『夕暮れ』が見えてきたような気がしています。遅れましたが、自己紹介をさせていただきます。特に有益な情報はないのですが、お付き合いください。
2021年5月現在、44歳(今年45歳になります)の普通の会社員です。入社してから今年で27年目。店舗の店員、乗務員を経験し、現在は品質マネジメントの手伝いをしています。※詳細はご想像にお任せいたします。
労働組合の役員も19歳から39歳まで20年間務めました。家族は、共働きの妻、大学生の娘、高校生の息子がいます。現在、『遷延性うつ病』闘病中。
趣味も特技も失っていましたが、症状が安定してきて、「何か趣味を持ちたいな」と思い、YouTubeを見ていて、投資、Twitter、ブログをはじめてみることにしました。

うつ病の発症

ある時、会社と職場の同僚の間に大きな問題が発生し、間に立って半年以上も現場長を相手に対処に追われているうちに、食欲不振、不眠、苛立ち、めまい、吐き気、動悸、強い恐怖心、不安感などに苦しんでいました。
様子を見てきた妻が「パニック障害か何かではないか」「病院に行ってほしい」と。
当時、乗務員をしていた私は、人の命を預かる仕事をしていたため、『精神疾患』で投薬治療を必要とする社員は薬の副作用のため乗務ができないことを知っていましたし、仕事が出来なくなる覚悟で病院に行きました。
検査の結果、医師は『重度のうつ状態』なので会社を休みなさいと診断書を書いてくれました。私は休職とになり、2016年1月4日から『うつ病』の投薬治療を始めました。
仕事を休職することになった私は、組合役員も辞任しました。対応していた労働問題も仲間に託し、養生するものの焦りから医師に懇願し、4ヶ月で同じ職場に復職しました。復職したといっても『うつ病』では、通常業務はできず、軽作業で自分の仕事はありませんでした。内勤者の手伝いをさせてもらいましたが、ちょくちょく具合が悪くなり、ロッカーで休ませてもらうことが多くありました。
乗務員は手当があり、収入も乗務しているのとしていないのとでは全然違います。私は乗務をする適正がなくなり、収入は年収で200万円減少手取り月収は8000円😢妻や子供たちがいなかったら死んでいたかもしれません…。感謝、感謝です。

私と労働組合

私は、労働組合の活動の盛んな会社に入社してしまいました。もちろん、そのおかげで職場の労働条件・環境はかなり良いほうだと思います。しかし、労働組合に権利と義務があります。よい労働条件や環境を享受するためには、組合費を払い、活動に参加することが求められます。私は入社した18歳のころは、よくわかっていませんでしたが、親切にしてくれる先輩たちが多く、声をかけられれば、断ることもなく、いろんな行事に参加していました。
入社2年目、乗務員の職場に転勤になりました。そこでは組合活動が非常に活発であり、組織の牙城と言われるほどでした。私は、おとなしい性格で、人前に出るのも苦手で、話をするのも苦手。とても役員をやるような人間ではありませんでした。しかし、職場の代表的な方に突然「一緒に労働運動をやろう」と誘われました。私はもちろん断りました。それでも、行事があれば参加していたので、参加するたびに「役員をやれ」と。私も負けじと断り続けていましたが、仲の良かった同期の一人が役員を引き受けたのです。私は、「彼にすべて押し付けてしまっていいのだろうか」と思い、「共に役員をやる」決意をしたのでした以来、様々な労働問題、労労問題、社会問題等など、怒涛の日々でした。「本業が組合活動」と言われるような状況でした。私の勤める会社は泊り勤務が多く、非番の日や休みの日はすべて労働組合の活動でした。家に帰る暇もありませんでした。お金も湯水のごとく浪費(当時は投資しているつもり)していました。貯金もほとんどありません。その代わり、様々な経験を積むことができました。組織作りに明け暮れ、会社から理不尽な処分を受けた仲間を助けるために勉強したり、オルグしたり、職場集会を開催して問題提起したり、組合員の質を強化するための教宣活動に尽力したり、訃報があれば飛んでいき、選挙があれば、推薦候補者の当選のために駆けずり回り、震災があれば復興支援のためにボランティアに行ったり、社会勉強もたくさんしてきました。いつの間にか、指導的立場になり、250名を超える職場を代表する立場になっていたのでした。

平和活動に明け暮れた

戦後、労働運動はGHQによって強化されていきました。戦争で犠牲になったのは多くの労働者・一般市民でした。それゆえに、戦後労働運動は、平和運動が盛んにおこなわれました。私が所属していた組合は、平和運動が盛んでした。
改憲の動きにも敏感に反応し、頻繁に「国会議事堂前でのデモ」や「抗議行動」も行っていました。アメリカ大使館へ抗議行動に行ったこともありました。
組合員への教育も繰り返し、研修も盛んでした。国内では沖縄、松代、広島、長崎、花岡、南房総、横須賀、秩父などを訪れ、海外では中国、ポーランド、フランス、フィリピン、タイ、ハンガリー、チェコなどにも訪れました。戦跡を巡ったり、戦争体験者の方のお話を直接聞かせていただいたり、革命が行われた過去を学んだりしました。そして、さらに学んだことを職場や地域に広めるために、職場集会を開いたり、平和の希求を地域にも広めるために企画を考え、映画の配給会社と打合せしながら、会場を借りて、無料で映画を上映したり、自作の動画を作成してアピールしたり…。「なんとしても子供たちに平和な未来を残していくのだ」という思いで活動していました。
日本は平和ボケをしていますが、今でも世界では様々な紛争が続いています。多くの罪のない人々、子供たちが犠牲になっています…。

労働組合との決別

私が『うつ病』を重症化させてしまった原因の一つが、職場で起きていた労働問題でした。私は職場で解決に向けて現場長と話し合いを重ねていましたが、なかなか進捗せず、問題は長期化していました。そんな中、上部機関とも相談してきていましたが、「お前のやり方がおかしい」「すべてお前の責任だ」と上部機関の役員に恫喝されました😢小さな会議室で密室の中、3対1の状況でした。私はショックに打ちのめされながらも、再び現場長に私の思いを告げに行きました。もう力尽きていました。言葉は震え、言葉の力は失っていました。私は一睡もせず、食事もとる時間も惜しみながら、問題を整理したり、対策を考えたりしていました。体が限界に達していました。
約20年の間、自分の時間やお金を犠牲にしながら、家族のため、子供たちの未来のため、仲間のため、精一杯奮闘していました。しかし、上部機関の役員は現場の苦労を考えず、高圧的な指導を繰り返していたのです。さらに、もっと上層部では、組織内の財産を巡って、主導権争いなども行っていました。私の思いは何だったのか…。いいように利用されただけだったと感じてしまいました。私が関わってきた後輩たちも、その上部機関の役員によって変質させられてしまいました。私は脱退を決意しました。
もはや、労働組合に力はなくなりました。組合員よりも組織の存続が優先の活動でしかなく、会社も労働組合をまともに相手にすることもなくなりました。
まじめな運動をされている労働組合の方々もいると思います。頑張ってほしいと思っています。ここでは、あくまで私が所属していた組合は、もう組合員のものではないということです。会社の批判と、組合に所属していない人に対する批判を繰り返し、自らの組織の体質、魅力を高めることを忘れてしまったようです。

うつ病は完治できない

私は、おそらく幼少期から『うつ病』だったのではないかと思います。子供のころはそんな知識もないのでわかりませんでしたが、いつも「死にたい」「明日が来なければいいのに」と考えていました。今思えば「うつ状態」だったと思います。父が非常に厳しく、幼い私は父に怯えて育ちました。批判ばかりされて、殴られたり、怒鳴られたり、褒められた記憶はありません。そのうちに、自己肯定感も低くなってしまいました。厳しく育てられた私は、学校では「優等生タイプ」でした。自分では当たり前と思っていることが褒められてしまうのです。周りからの評価は高かったかもしれませんが、私の心の中は闇に包まれていました。本当の自分と学校での自分のギャップに苦しみました。
それでも、学生時代に、『野球』、『ソフトボール』、『百人一首』、『応援団』、『生徒会』など、厳しい中でも友だちに恵まれ、楽しい経験もしながら、「早く父親のもとを出たい」と高校卒業後に就職をしました。『うつ状態』を克服しても、再び再発。ずっと繰り返してきたと思います。正式に診断されたのは6年前ですが、そこから投薬治療を始めましたが、すでに慢性化しており、『遷延性うつ病』の診断が出ています。どうなったら『うつ病』を克服したと言えるのか、完治が見えません。『うつ病』には完治という考えはなく『寛解』という考えだそうです。落ち着いた状態、安定した状態が一定期間続いて、薬を飲まなくてよい状態になれば『寛解』といえるのではないでしょうか…。

新型コロナ・大規模災害で危機感

2019年12月『新型コロナ』が現れました。2020年『非常事態宣言』で人の流れは止まりました。三密をさけるという『新しい生活様式』が始まりました。『テレワーク』『オンライン授業』などが進みました。多くの犠牲者も出ています。大規模災害も毎年のように発生し、地球規模の問題が起きています。2030年までに気候変動に対する必要な対策をしていかなくては未来はどうなるのか…。永久凍土の中には、未知の最近やウイルスが潜んでいると聞きます。気温上昇により、永久凍土も溶け始めています。これからの時代、『新型コロナ』が終息したとしても『次なるウイルス』との闘いが待っています。根本的な問題は環境問題であると私は思っています。人生100年時代と言われていますが、本当にそうなのか、そもそも人類が地上で生きられない世界になってしまうのではないかという危機感を感じます。
もっと身近な問題で言えば、私の勤める会社も大幅な赤字😢を出しました。収入は減少し、今後の経営も厳しい中で『リストラ』が頭をよぎります。これからの時代、終身雇用制もなくなろうとしています。いつまでも同じ会社で働けるわけではありません。転職を繰り返しながら『キャリアアップ』されている優秀な方々もいますが…。多くの場合、転職したら賃金は低下してしまいます。
これからは弱肉強食の社会です。昔、労働者の拠り所であった『労働組合』は衰退の一途をたどっています。これからは個人の力で情報を集め、勉強をし、新しいことに挑戦する勇気をもって、自分の力で『稼ぐ力』『ためる力』『守る力』『増やす力』『使う力』を身につけていかなくては生き残ることは難しいのではないでしょうか。
希望を失いつつあった緊急事態宣言下の中、YouTubeを眺めていて、中田敦彦さんの『YouTube大学』や両学長の『リベラルアーツ大学』のチャンネルに出会い、その他にも様々な発信者の方々からの学びによって、『うつ病』により気力を失っていた私ですが、少しずつ挑戦する気持ちを持ち始めることができました。

おわりに

私の自己紹介はここまで。
若いうちにいろいろな経験をすることは良いことだと思います。その時にしかできないことがあります。若いころに飛び回っていたことを今は出来ません。若さとはすばらしいものです。今は、病気になってしまいましたが、健康のありがたさと家族のありがたさ、感謝する大切さを学ぶことができました。
私たちは魂を磨くためにこの世に生まれてきます。そして何度も生まれ変わります
(信じなくていいです)
もう、充分磨いたと思うのですが、まだ命があるのでまだまだこの世を楽しみます。投資も面白いです。世の中のために自分のお金が役に立っているのですから。
Twitterも、好きなことをつぶやいて、共感してくれる人がいると嬉しいです。
このブログもちゃんと勉強せずに何となく作成しているので、お見苦しかったと思いますが、終わりまで見ていただいた皆様ありがとうございました。
これからも、無理なく、好きなように続けていきたいと思いますので、時々見に来ていただけたら嬉しいです。おわり。