『うつ病』といっても、人それぞれなんです。
人はみな、一人一人違うのですから。
置かれた環境も違うのですから。
克服した方もいますし、長年辛い思いをしている方もいます。
もちろん、同じようなところもあります。
今回は、私の場合のお話。
たぶん幼少期から
大変厳しく育てられました。
私は親から認められませんでした。
常に否定されて。
何かできても、当たり前。
物心ついたころは、ビクビク怯えていました。
気も小さく、不安な毎日。
すぐに怒鳴られ、叩かれて、、、。
子どもらしくない子供になっていました。
幼稚園の時に描いた絵が出てきました。
背景は真っ黒。その中に赤い目玉が1つ。私を見下ろしている絵。
完全に精神異常者です。
でも、当時は、なんの問題にもならなかった、、、。たぶん。
ずっと引きずってた
暗い思いを引きずりながらずっと、少年時代、青年時代を過ごします。
他人から根暗な人間と言われて、いじめにも遭っていました。というか、、周りの人と会話が出来ませんでした。
「死にたい」と毎日願っていました。「明日が来なければいいのに、、、」
生きている心地がしませんでした。
早く、親の元を離れて、独りで生きていきたい。
自分を否定する存在に自己肯定感を下げられ続け、親から『所有物』扱いされていました。
私は、あなた方のために生きているのではない、、、。そういう思いを抱いていました。
操り人形
親から離れ、自立したものの、今度は会社の中で、私は操り人形になりました。
会社の奴隷ではなく、労働組合の奴隷になったのです。
労働組合こそ、きれいごとを並べたブラックな存在。
私は体と心を蝕み続けました。
自分の意志を持つと批判され、つるし上げにあうのです。
フラフラになりながらも、きれいごとでも、それが人のためになることも事実あり、いつしかやりがいを感じはじめ、20年役員を勤めました。
完璧主義
操り人形だったとしても、自分の意志もありました。自分が正しいと思うことには必死に食らいついていました。納得いくまで追求していました。
自分の理想があり、人に任せることが出来ないのです。
○○すべき。
すべき、すべき、すべき、、、。
自分を苦しめたのは自分自身でした。
限界
虚偽に加担することになり、虚偽をも守らなくてはならないのか、、、。
頭を抱えましたが、虚偽を正し、正しい道へ軌道修正をしていきました。
それでも、組合幹部たちからは、批判を受けました。
そんな日々が長いこと続き、ついに限界に。
吐き気
食欲不振
不眠
気力がわかない
意欲がわかない
息苦しい
急な発汗
震え
ひどい苛立ち
ひどいコリ
極度の不安
極度の恐怖
頭が働かない
数字が読めない
時間が読めない
仕事ができない
脳内や腸内環境の異変
いま
すっかり、ストレスから解放されています。
私が組合の第一線を退くことを許してくださった皆さん、雇用し続けてくれている会社、いつも変わらず明るく接してくれていた家族のおかげです。
一度ひどく壊れた心身。
未だに修復されない症状はあります。
だから、薬と上手に付き合っています。
そして、投薬治療は7年目に突入。
今、私は、元気です。
ありのままに、想いのままに、気の向くままに、、、。
自分に優しく、自分を許し、他人を許し、すべてを許し、
水流の如く抗わず、柔軟に力強く生きています。
頑張ることを手放して、
新しい自分を生み出して。
何年かかるかわかりませんが、いつか、薬も卒業できるときが来るでしょう。
主治医からは「仕事している間はむずかしいな」と言われていますが、、、。
それで、いい。
今、元気でいられるなら。
おわりに
今回もうつ病について、私の体験、考えを少しだけですが紹介いたしました。
あなたはあなた。私は私。みんな違ってみんないいのです。
そしてお互いに、かけがえのない尊い存在なんです。
さて、今朝はこの辺で。
今日も一日、頑張らずに、楽しみましょう。
いつもご覧いただきありがとうございます。