どうも、夕暮れサラリーマンです。
最近は、夕暮れ前に帰宅するので、夕暮れをみていません。
朝は早いので、朝焼けは見ることがあります。
「朝焼けサラリーマン」の方が良いでしょうか、、、。
もしくは
「早朝サラリーマン」かな、、、
例えば、
「夏リーマン」
そしたら、春夏秋冬変えないと、、、。
でも夕暮れが好きなので夕暮れサラリーマンですね!
さて、どうでもいい話はこの辺で。
今日のテーマは「大学に行くべきなのか??」
久しぶりにカテゴリー「想い」です。
私は高卒
私は、中学生のころには、早く社会に出て働きたいと考えていましたから大学進学などまったく考えもしていませんでした。
結果、今でもよかったと思っています。
特に高いお金を払って大学で勉強したいことなんてなかったから。
自分の考えで選択してきたことですし、まったく後悔もなく、ちゃんと働いています。
親に余計な負担をかけることもなく、自立してきました。
大学に行きたい??
大学で勉強したいという人は頑張って大学に進学して学びたいことを学んで充実した時を楽しんでほしいと思います。
ですが「勉強は嫌いだ」とか「めんどくさい」とか「嫌だ嫌だ」「無理無理」とか言ってばかりいる人が何で「大学に行きたい」というのか、、、。
厳しいことを言わせてもらいますが、「遊びたいから」とか、「社会に出たくないとか」言って逃げているような、普段からだらしのない人が大学に行きたいって、、、。
迷惑だし、無駄だから早く社会に出て働けばいいと思います。
よっぽど社会に出た方が勉強になるし成長すると思います。
それに、大学に行かなくても、今は学ぶ手段がたくさんありますから。
大学=豊かな生活が約束される
という時代はとっくの昔に終わっています。
一生が勉強
そういうマインドを持つことが大事ではないでしょうか。
勉強し続けることは、大学に行くこととは違います。
学校で学ぶことは、国家にとって必要な人材を育てるためのプログラムに沿ったプロセスです。
変な言い方ですが、「たくさんの税金を会社員として確実に国に納めてくれる人」を育てたいのです。
俯瞰して見ると私にはそのように見えてきます。
それは、自分を生きているのではなく、国家のプログラムにはめられているだけ。
本来、私たちが生きている意味とか、学ぶということは、そういうことではないと思うのです。
もちろん、学びたいことがあって、大学に行くことでそれが学べるという方は、大学に行くことが必要なことですからそれで良いのです。
そのような方は、大学でさらに成長できますから。
問題は「何となく」という人、「嫌だけど行かなくちゃ」という人。
一生が勉強なんです。
学校で学ぶことだけが勉強じゃないんです。
社会に出たって、たくさん学びがあるんです。
私は今も勉強中
高卒ですが、学校教育ではない勉強をずっとしています。
ものすごく成長できたと感じています。
私は、書道を習い始めたり、絵画を自己流ですが描いて学んでいます。今でも社会人として、いろんな場面で逃げずに取り組むことで勉強になることが沢山あります。
PTAをやったり、会長をやったり、会社でリーダーをやったり、前を向いて「自分なりで良いのだ」と思いながら挑戦しています。すべて経験は学びです。
大切なのは生きる姿勢なのかなと思います。
うつ病を患い、常に死にたいと考えていた時期もありますが、向き合って自分と闘って生きてきました。うつ病が悪化してからは、クリニックや薬に助けてもらっていますが前を向いて生きています。
人生、前にしか進めませんから、四の五の言わずに前に進めばいいのです。
過去のことは変わりません。けれど捉え方を変えれば、過去は変えられるのです。
前に進むことで、過去も変わるのです。
「もう、いまさら、、、」なんて言わないで。
今からだって遅くない。
やりたいと思うことには、今すぐに挑戦していけばいいのです。
いつ人生終わるかなんてわからないのですから。
若さは永遠ではありません。
命は永遠ではありません。
私たちの時には限りがあるのですから。
限りあるからこそ、学ぼうと思うし、楽しもうと思うし、生きがいを感じられると思うのです。
結びに
珍しく少し長くなりました。
考え方は人それぞれなので、あくまで私はこう思うというお話でした。
そもそも、私は大学に行きたいと思ったことがないですし、勉強は嫌いでしたから。
それに置かれた状況も人それぞれです。
生きる課題も人それぞれです。
私の考えなど、まったく押し付けるつもりもないので、自由に考えていただければいいと思います。
一人で生まれてきて、独りで死んでいくのですから、自分の人生を好きにしたらいいのですよ。最低限のことを守ってさえいれば。
なんでも、どんな生き方も、結局は学びなのですから。
いつもご覧いただきありがとうございます。